【parallel _123_world】

自分も知らないもう一人の自分、あなたの中にも。

隼人瓜

ハヤトウリはメキシコ南部から南米北部にかけての熱帯アメリカが原産とされるウリ科ハヤトウリ属のつる性植物になる実です。アメリカではChayote(チャヨテ)、フランスではchristophene(クリストフィーネ)と呼ばれ比較的メジャーな野菜の1つです。

日本には1917(大正6)年に最初に鹿児島に持ち込まれ栽培が広まったため薩摩隼人の瓜という意味で隼人瓜と呼ばれるようになりました。

 

 

今晩は夕食を実家で母と食べた。

母とは仲は良いが、お互い距離を保って牽制しあってる感じがする。

 

幼少期は父の方が帰りが早く、保育園の送迎をしてもらってた記憶がある。小学校に上がり、鍵っ子になった。中学校では、部活に明け暮れていた。中学校を卒業して、高校では実家を出て寮生活となった。それから、大学は県外に出た。

 

社会人になって、やっと家族と暮らすことになった。7年ぶりの家族との生活。もともと中学生まで住んでいた所ではなく、高校時代に引っ越した先。愛着は全くない。帰省で年に何回か帰ってはいたが、やはりそれだけじゃ愛着は湧かなかった。7年ぶりの家族と初めて暮らす家。

 

家族というのは居心地がいいものだと、いつものお気楽人間のメルヘンな想像は早めに崩れた。7年ぶりの家族は、もう知らない赤の他人と一緒だった。それは、自分の以外の他の家族もそう思ったに違いない。距離感や暗黙のルールが掴めない。やりたい放題にやっていたら、自分がいない時、家族内での自分を呼ぶ一人称が『あの人』になっていた。

 

社会への不満。家族への不満。兎にも角にも、不満だらけで尖りまくった2年間を過ごした。この時は、とにかく母にぶつかりまくった。そして、これでは自分にも、家族にも悪いなと思い一人暮らしを始めた。今考えれば高校生くらいに来る、思春期(反抗期)というものがだいぶ遅れて来たのでは?と思っている。

 

実家を出て2年目、母との距離がなんとなくわかってきた。しかし、やはり2人きりだと構えてしまう。今日は、そんな構えた日だった。2人の沈黙を裂いたのは、『隼人瓜』だった。母は言った、「すごくアクがあって、食べづらい食べ物なんだけど、天ぷらにするとホクホクして美味しいんよ。発見したんよ。」って。「うん、ホクホクして美味しいね。ありがとう。」と自然に言葉を発することができた。その会話がきっかけとなり、それからは穏やかな時間を過ごせた。

 

今日は、隼人瓜を知り、隼人瓜に感謝する日となった。母と自然に会話をできるようになった自分に、「えらい、えらい」をして部屋の電気を消そうと思う。おやすみなさい。リビングでは、母がみる韓国ドラマの俳優たちの声が聞こえる。