#parallel123world27[日常15]
ー小・中学校の設置・運営の在り方に関する作業部会ー
※配布資料 資料2 小・中学校の適切配置に関するこれまでの意見等
≪通学距離について ≫※現在の規定
(義務教育諸学校の設置費の国庫負担等に関する法令施工例)
小学生・・・おおむね4㎞以内
中学生・・・おおむね6㎞以内
児童生徒の心身的なストレスを考えたうえ
現在は交通機関の発達により変化しつつある
幼少期の自分と照らし合わせてみた
世界の広がり方が
未就学児時代・・・家+保育園〔+親と同伴する場所〕⇒お出かけ
小学校時代・・・・校区内(半径2㎞内)〔+親と同伴する場所〕⇒習い事・お出かけ
中学生時代・・・・校区内(半径3㎞内)+遠征+遊び(50㎞内)公共交通機関使用可
(+親と同伴する場所)⇒部活動・お出かけ
高校時代・・・・・学校周辺(半径8㎞内)+遠征(+親と同伴する場所)⇒お出かけ
大学時代・・・・・大学周辺+遊び(100㎞内)自家用車+遠征
+親と同伴する場所)⇒お出かけ
広がり方が、いかにも段階的。
そして、いかにガラパゴスな環境で成長したがわかる。
現在・・・・・・・県内+国内+海外(アジア圏)
改めて見てみると面白いなと思う。
幼少期の自分は今では考えられないくらい人見知りで
家と保育園の人と親戚、親の友人以外は全員『宇宙人』だと思っていた。
それが今では、そのことを言うと「嘘をつくな」と笑われるくらいになった。
段階的な発達段階を経て、『宇宙人』を『人間』と認識していったのだ。
『知らない』ということは、恐怖(という刺激)だった。
今では
『知らいない』ということが、学習意欲(という刺激)に変化した。
何が言いたいかわからないが、幼少期の自分は
大体の人間を『宇宙人』という認識をしていたということがわかる。
ということは、『家・保育園』以外は自分にとって『宇宙(無限)』なものとしてとらえていたのかなと推測。
大人になった今、そんなことは感じなくなった。
何にでも限りがあると思ってしまう。
悲しくも思うが、それが大人なのか。